音月さんの今日のボヤキ

ぐ~たら主婦のぼやき

占い師のマネーリテラシー(数々の失敗と共に…)

どーもこんにちは、音月です。
今回はマネーリテラシーについてです。
多分読むのに20分くらいかかる長文です←
今回も自慢を盛り込んでいきますが、よかったら読んでいただけたらと思います。



年金に関するあの一件

から、他人任せにしていた人が多い老後の生活費を自分でどうにかしなきゃいけないんだ!という自分事へシフトせざるを得なくなったんだと思います。


私は占いの方でのコンセプトとして、「自分で幸せになろう」を掲げています。


この「自分で幸せになろう」には、自分の人生に関わることは自分が主導権を握る。


人間関係に関しては対等になる。という意味を込めています。


せめて自分の人生のかじ取りは自分ですること。


そのため、恋愛や結婚ならば自分の恋愛や結婚のアドバイザーを、お金に関してなら、自分で自分のFPに、なんなら自分の人生のツアーガイド・自分の未来を切り開いていく自分で自分の占い師になるということをしてもらうために色々と発信や仕事でいろんな人たちに関わらせてもらっています。


ただ、今回の年金問題についてお金に関するコラムを書くライターやFPなんかがこれからはためにならないような情報をたくさん発信されていくと思います。
自分とマッチするのなら参考にすればいいけど、お金の情報を操るレベルまで達した人たちから発せられる情報は困っている人にとっては為にならないものが多いと思います。
そこで、今回は私の数々の失敗と共に私が身に着けたマネーリテラシーと次に貯金が苦手な人向けに貯金のやり方初級編をお伝えしたいと思います。



私がお金と密接にかかわりを持ち始めたのは高2になる前のこと。


部活では全国大会(それもさいたまスーパーアリーナという大きな舞台(今は違うところで開催されています))に立てたし、きっとあれ以上上の賞を取ることもないだろう(ものすごい失礼な気持ち)、ということで、そのときに興味があったアルバイトをしてみることにしました。


そこで面接を受けたのが通っていた高校近くのお好み焼き屋(今はつぶれてラーメン屋になってます)。


バイトをするときに父から言われたのが「バイトするなら携帯代払ってくれる?」です。


ここから私のお金の自立への道が始まりますww


私は中2から携帯を持っています(妹も同じ日に契約したので、妹は小6からです←)。
当時で考えると早くから持っていたと思いますが、今みたいな無料でメッセージを送ったり通話ができたりするアプリなんてものはなく、パケホーダイが辛うじてありました。
高校時はモバゲーなんかが流行っており、私もやってました。
そして毎日のようにバイトがない日は長時間友人と通話。
この時は電話するだけでお金はかかるし、パケホーダイじゃないとメールを送受信する・モバゲーするなどだけでもお金がかかりました。
さらに私はこの時から自分の生き方に迷いまくっていたので有料占いサイトに最低3つは入ってました←
そのお陰で、パケホーダイじゃなかったら携帯代は月額17万円!!
今の大卒のお給料くらいかかってました。
ほんま、あの時の私アホやで。。
ただ、パケホーダイでも月に6~7万円。
バイト代は頑張っても5~6万5千円。
父のカンパが月に1~2万円あり、なんとか携帯代は支払うようにしていました。


一応花の女子高生。
バイトするってことは遊びに使いたいだろうと1万は最低残るようにしてくれていました。
よく父からは「携帯代のためにバイトしてるようなもんやん?!アホらしくないん??」と言われていましたが、この時に情報と付き合うという勉強をしていたのではないか?と今になって思います。
買い物をしたりゲーセン行ったり友だちとご飯行ったりという遊びよりも、夢中になって携帯をいじっていたと思います。


でも、バイトは楽しくて仕方なかったです。
そこは私自身の根本にある部分に感謝したいなと思います。
本当はバイトするときに学校にどこでどんな理由でバイトしますという届けを出さないといけなかったですが、私は出さずに、でも先生は全員私がバイトしているのを知っていたので卒業まで顔パス(?)でしたww


そんなこんなで就職する前。


進学をしたくなかったわけではないけど、大阪の印刷会社に内定をもらって秋以降は卒業待ちの状態だった。


普通就職したら、翌月までお給料はないから最低1カ月分の生活費がいるじゃないですか?


私はてっきり親がくれると思っていたんですが、「ない」って言われたんですよね←


そこで毎年行われている郵便局の年賀状の仕分けのバイト。


これはなぜか学校宛に人員募集が来てて、お好み焼き屋の店長に事情を説明してかけもちをすることに。


高校時点で掛け持ちするって…


で、郵便局の方のバイト代は全て貯めて就職後1カ月の生活費にしました。


でも5万くらいしかなかった。


初めての掛け持ちはめっちゃくちゃしんどかった。


それだけは覚えています。


そして大阪に就職。
平日の朝ごはんを作ってくれる寮母さんがいる女子寮に入りました。
そのため寝るための布団と服を入れるための衣装ケースと入社式と研修中に着るスーツを父に買ってもらい、メイク道具は自分で格安コスメから揃え直しました。
運送屋さんも父の伝手で安くしてもらって荷物も無事に発送。
そして大阪へ。


お昼ご飯と寮か社宅に住む人だけが食べられる夜ご飯は味を言わなければ会社の食堂でご飯があったので実費で必要なのは週末のご飯と遊ぶお金だけでした。
といってもキッチンがあるわけではないので、結局コンビニかたこ焼き屋さんかお弁当屋さんか外食です。
しかもお給料が出る前に新歓があったので、服を何着ていくのか?とか電車賃とか…いろいろと大変でした…


寮のよかったところは、平日のご飯が全部出るところと寮費が安かったところ、光熱費がかからなかったところです。
デメリットは、2人部屋だったのですが部屋には2段ベッドと収納とテレビが1台、そして靴箱。
仕切りなんてないので、プライバシーなんてありません。
トイレ洗面は共同で洗濯機は全自動1台と二層式が1台。
みんな二層式は使ったことがなかったらしく、私は祖母が使っていたので使い方を知っており「みんな箱入りかよ」と思いながら二層式を独り占め(笑)


お風呂はないので、向かいにある社宅の寮の人が使う大浴場に2人で30分というリミットつきの入浴。
社宅はカードキーで入出が出来たため、お風呂の時間を確保するリストの横に1枚だけ置かれていました。
ただ、お風呂の順番待ちしてて部屋で疲れて寝ちゃう日もありました。
そうするとですね、冷たい洗面所の水で頭だけ洗うことになります…。


それが嫌で一人暮らしを決意。


19歳の11月に初の一人暮らしをすることに。


お金も頑張って初期費用を貯めました。


平成生まれなのにあんな昭和生活とはおさらばだ!と自分で物件を見に行き、引っ越しはしたけど、ガスって即日開栓してくれないんですね。


その時初めて知り、一人暮らしを始めたのに初日は水のシャワーで頭を洗いました←


11月の水って冷たいんだよー??


とそのなことがありながら、新生活を始めました。
この時の私の偉いところは、残業代を考えずに基本給の1/3で部屋を選んだことです。
残業代は毎月出るくらい毎日残業ばかりしていたけど、残業代は月3~7万という大きな開きがありました。
とにかく相部屋の子を考えずに自由にネットが出来て、自由にトイレとお風呂に行けて自由に自炊も含めて食べたいものが食べられたらいいという思いだったので、特にこだわりはなかったです。
住めばどこだって都。
狭い1Rだったけど環境なんて気にならなかったなと思います。


しかし、その1Rで2年後に妹が大阪の専門学校に進学するというので二人暮らしを始めます。
こういう時に姉ってやだな…と思う。
父からは「妹が進学するから一緒に住んでやって」と軽く言われ、断ると「じゃあお母さんに援助してもらえないか聞いてみて」と何故か私が電話をすることになり、何故私が??と思いながら電話をすると「そんな学校に進学するためにお金なんて出せるわけないやろ!?アホちゃう??こっちも困ってるわよ!!」と代わりに怒られ←
結局しぶしぶ納得させるも、妹が自分の生活する部屋を見たいと部屋に遊びに来るも「狭!引っ越し出来んの?!」と心無い言葉を次々と言い放たれ、この時の私の心境としては家族全員が敵でした。
大家さんにも無理にお願いして二人暮らしを許可してもらったのに、そういう苦労を話しても誰も共感してくれなかったこの時の私。


二人暮らしが始まるも、

私はDTPオペレーターとして雑誌の編集をしていたので、毎日何時に帰れるか分からない生活。


完全にすれ違い生活だったけど、家賃として1/3だけを妹のバイト代から貰っていました。


光熱費は私持ちです。


この時は本当に実家で暮らしていた以上に姉妹喧嘩をしていました。
ほぼ毎日していたと思います。
まぁ妹が卒業したら妹は引っ越しして一人暮らしを始めます。

やっと一人の生活が戻った頃、

それでも私は自分の人生これでいいのか??と悩んでおり、エレクトーンのインストラクターの資格を取得したり、エステに通ってみたりしました。


でも美容に関して気づいたのが、毎日顔を整えてくれる専属のメイクさんでもいない限り自分で毎日やらなきゃいけないんだということです。


服に関しても、自分に合うデザインややってみたい服装をなるべくやってみることにしました。


そんな毎日を過ごしている中、私は当時付き合っていた彼も原因の一つである事故が原因で入院することになります。
入院する上でか退院するためにだったか忘れましたが、誰でもいいから自分以外の誰かのサインが必要だったんですね。
それで当時の彼氏に連絡を取るも「サインとか無理」と言われ、この時は起業して間もない友人Yに連絡を入れると飛んできてくれました。


入院中思ったわけです。
このままじゃいけない!自分が可哀そうじゃないか!!と。
でも人生を立て直すのに今の環境ではだめだ!一度地元に帰ろう!ということで、父にお願いして仕事も辞めて帰ることに。


この時は長い事会ってなかった友人Sから「どうしてこんなになるまで無理してたの…」と泣かれてしまいました。
規制して色々な友人と会いましたが、普段はディスってくるこの友人二人はどんなことがあっても心底では私を大切に思ってくれる人たちなんだなと思いました。


ただ仕事をやめたとき割と瀕死状態。
入院費も入院保険に入っていたのに使い方が分からず、キャッシングして払ってしまったアホな私。
更にここにのしかかる住民税9万円(一括)。
10月で仕事をやめたのでこんなに高額でした。
大阪の区役所に電話するも分割の納付書送ると言っておきながら期限まで何の音沙汰もなく、またしてもキャッシングで支払うことに。


本当はしばらく療養と言う意味でニートをしたかったですが、あかん!毎日がつまらなさすぎる!!と就活することに。
11月に帰省し、12月のクリスマスには再就職しました(早すぎww)。
その時の会社は正社員私だけ、あとは社長と数人のパートさん。
でも働いてみて思ったことは、正社員なのに、実家で家賃関係かかってないのに(家に3万くらいは入れてた)、遊ぶ場所もない田舎なのに借金が減らない?!?!
※この辺りで占いの師匠に出会い色々学ばせてもらうというサブストーリーが平行して動き始めます



訳合って私はこの会社を1年ほどで解雇になりますが、この時にもしかしたら正社員っていうものがストレスなのか??と考え、

興味があったパン屋の製造でパートをすることに。


毎日6時間労働、収入は10万程度。


社保にも入れてくれて、健康診断も受けさせてもらえた。


収入は減ったけど、時間は増えたおかげで、自分に対して考えることがたくさんできました。
自分に必要なお金って何だろう?いくらあれば満足なんだろう?何が生活からなくなったら困るんだろう?それに払わないといけないのはいくらだろう?ということを考えました。
冷静になるために今は削除したけど当時始めたブログに恥を捨てて赤裸々に書いてみることにしました。


そこで、YouTubeで知らない音楽を聴いた感想、集中力を高めるためにトランプタワーを毎日行いタワーの写メと毎日積み上げるまでのストーリーを書いてみたり。
時には無意識に依存になっているものを一か月やめてみたら一か月後の私はどうなっているのか?を知るために主にお菓子や外食、コーヒー・友だちと会うこと・ギャンブルを毎月1つずつ断食。
そこで必要なくなったものは今でもやめていたりします。
コーヒーだけではなく、ティータイムは私にとっては欠かせないなと思ったので、予算を1カ月2千円とか決めてどんな淹れ方をするのが一番おいしいか?という実験もしたりしました。


色々なものを断食して実験し、断捨離して少なくしてそうやって必要なものと要らないものを色々やってみて、完成した私の生活スタイル。
それが終わった後で出会ったのが夫です。
出会ったすぐの夫からはよく「そんな生活楽しくない!」とか「変だ」と言われました。
でもそうやって色々と経験して初めて人生の主導権を握れるようになる。


生きている限り時間と食べること(お金がかかること)と暮らすことを最低限どんな人間にも与えられています。
全員がやってることだからこそ、一番最初に基盤として確立させておかないと、周りや情報に振り回されることになる。


私は大阪で働いていた時の考え方が今でも身についていて、入ってくる収入面は低く、出ていく支出面は高く考えています。
そうすれば今月のバイト代が3万だと思っていたのに4万円もあった!ラッキー!
今月の支払い3万だと思っていたら2万8千円だった!2千円も余った!ラッキー!!と感じるわけです。
私が良く読む風水の本の著者 李家幽竹さんによると「ラッキー」開運ワードです。


小さなラッキーを積み重ねて大きなラッキーを手に入れましょう!
怪しいビジネスみたいな文面ですが、自分はお金をいかに使わずに楽しく生きることができるのか?
そういうことを自分で自分を試していくチャレンジ精神を出して行ってほしいです。
そうすれば、ためにならない価値のないお金のコラムに振り回されることはありません。
自分の気持ちのままに生きましょう。


長々と読んでいただいてありがとうございました。